コンチェルト
階段を行ったり来たり
段差はプレイヤーの腕次第
時には急上昇、急降下、16分音符、
アレグロ、スタッカート
時には緩やかなロングトーン
翻弄される音にしてみれば、たまったもんじゃない
おいおい、1オクターブ上かよ
今度は下がるのか
ああ飾り音符か、出来るのかよ
よし、決まった
なんだよスタッカートの連続かー!
キレよく行こうぜ
この全音符は外すな
もちろん愚痴も悲鳴も上げてはいけない
間違えではいけない真剣勝負だ
そんな一音一音が奏でる集合体は、美しいメロディー、そして人々の心に残る曲になる
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フィニッシュ!
パチパチ…パチパチ…お疲れ様
ホール全体に響いた音達は、どこか満足げな顔で観客の拍手を聞き、静かに踵を返してうちに帰って行ったようだ
ぎんなん
飲み屋の常連さんからぎんなんを揚げたのを戴きました。
「買うと高いですよね」と言うと、はにかむように笑っておっしゃいました。
「通りにも落ちているのよ」
「故郷では境内に沢山落ちていたのよ」
‥そう言えば母も拾っていたなー、と思い出しながらお礼を言って、殻を割り一口入れると、ホクホクした甘みと、ねっとりした食感に併せたほんの少しの苦味が口の中に広がりました。
揚げたのは、煎ったのより甘みがあって食べやすいと思いました。
初めは咬み応えがあるぎんなんでも、食べているうちに優しい素朴な、それでいて少し個性的な味がします。
それなのに私はイチョウ並木の下を無関心に通っています。
もっと知識があったら都内に沢山ある黄金色のイチョウの葉を健康に役立てるのになと思ったりします。
次の日、
この年齢ですら初めて嗅ぐような便が出て、なるほどー、となりました。
さんまの塩焼き定食
今週のお題「最近おいしかったもの」を書いてみます。
お昼を食べようと、食堂系チェーン店に久しぶりに向かいました。
のぼりに「さんまの塩焼き定食」と出ていたので迷わず注文。
さんまの塩焼きに関しては子どもの頃から大好きだった記憶があります。
かつてアメ横では魚屋さんが軒を連ねていたので旬の魚が安く買えました。
週末に父が喜々として買ってきたものはさんま20匹500円。
ビニール袋に無造作に入れられたさんまは、それからしばらくの間、わが家の食卓のメインになりました。
子どもの頃から変わらないさんまの塩焼きの食べ方。少しご紹介します。
さて、注文したさんまの塩焼き定食が運ばれてきました。
子どもの頃は食べられなかったワタも、大人になってからは好物になりました。
何故か真っ先にワタへと箸が動きます。
大根おろしにお醤油を少し垂らし、辛味の残っているおろしをワタに乗せて一口。
ワタといえど生臭さはそれほど無く、独特の香りがするのです。
この時、自分自身が生きている実感がしました。
身の部分は、背中の脂がのっている場所からつついて背骨から剥がします。
小骨はさんまの場合は柔らかいので気にせず食べても大丈夫です。
この時はもう無心です。
ご飯と、大根おろしを乗せたワタ、身の部分を交互に口に運ぶだけです。
ワタの仄かな甘みと苦味、大根おろしの爽快感が合わさって味覚をあらゆる角度から刺激します。
身のしまった食感とご飯が口の中で合わさると、食欲をさらに増進させます。
さんまを食べ終わった頃にお味噌汁の存在を思い出し、飲みごろを一口飲んで一息つきました。左上に配置された冷奴をデザートがわりに頂いて完食です。
所要時間は20分程。
幸せのひと時でした。
思い出深いさんまです。
今では高くなり、うちで焼く機会も減りました。
ここで食べられて良かったです。
久しぶりに子どもに帰ってぱくぱく食べました。
印象
文庫になっていたのでココ・シャネルの名言集を読んだ。
「ココ・シャネルの言葉」山口路子
だいわ文庫
戦時中の人で、モードの革命を起こした経緯と彼女の強烈な言葉が描かれていた。
『仕事のためには、すべてを犠牲にした。
恋でさえ犠牲にした。
仕事は私の命をむさぼり食った。』
彼女の言葉を読むと、自分を律しながら野心を持った孤高のビジネスウーマンという印象を受けた。
今でもそうそういないタイプだと思うが当時の女性の立場からすると目立つ存在だったんじゃないかと思う。
大変な人生の中で自分を曲げないその信念に敬服した。
この本を読んでから、他の人はどうやって今の仕事に就いたのか、何のきっかけでその職業を選んだのか、どうして続けていけるのか気になった。
ひきかえ、私は自分の身の置き方すら見えていない。
焦る気持ちはあるけれど、入院していた頃よりはまだマシだろうと自分を元気付けてみる。