餡とコーヒー

和菓子とコーヒーに癒されるひとりが書いています。

プライド

地下鉄のトイレで手を洗いながら鏡に映る自分を見て、気づいた。

 

「自分以下の男と付き合うのは嫌だ」

 

する・されるの関係になったら女は征服されたも同然。

 

受け入れるのに自分以下の男を許容してはいけない。

 

次からその男と歩くたびに、「私はこの人に服従します」と言っている様なものだからだ。

 

ところが、させたからって征服されたという考え方にならない人もいる。

私もそうだった。

 

その原因は、母性だ。

 

「あの人は私がいないと駄目なのよ」と言いながら、稼ぎのない男と付き合うことに甘んじている女。

駄目なところが可愛いと思えるのだ。

もちろん当人が幸せなら何も言えることではない。

 

今日、降って湧いたように気づいたことは自分を大事にするための一歩だと思う。

 

それにしても母性って厄介だ。

 

 

 

ネットの不思議

誰にも聞かれたくない相談ごとをチャットでしてみた。

 

その人は察するに同性のかなり年下だった。ひょっとすると未成年かも?

 

控えめな遠慮があったものの、同性なのでありがたいと思い、

「さらっと感想言ってくれるだけでありがたいです」と続行をお願いした。

 

インターネットを物理的なケーブルで見たことはないが、中でどうなっているのか知りたいと思った。

 

それほど不思議なことだった。

 

 それは、素朴なやりとりの中で私の心の奥底がわかったからだ。

解決してしまった。

 

ネットではどんな人か分からない不安はある、が、しかし他に悩みについて客観的な意見を聞く最適な手段があるだろうか。

 

秘匿性からチャットは適当な受け応えをする方も普通なのに、その人は真面目に返してくれたのが嬉しかった。

 

そういう巡り合わせが一番不思議だ。

 

 

施術者

人が笑ってくれたり、和んでくれたら嬉しい。

割と昔から思っていることだ。

私の感性と組み合わせて、世の中にどう貢献してお金を稼ぐか考えた。

 

カウンセラーでもないし、芸術家にはなれない。本を通して働きかけた経験もあったが難しかった。

 

そこで手指を通して直接、人に働きかける仕事に挑戦することにした。

 

簡単に言うと、今ではセラピスト(=施術者)という。

 

最初の一文は、私の根幹であり、これから目標とする生き方にも通じる。

 

大きな目標を遠く見据えていれば、近くの難関は軽いものだと、ある人が教えてくれた。

 

これから楽しくなりそうだと、

武者震いするようだ。

 

 

23区

思えばこの土地でたくさんの場所をあの人と歩いた。

 

笑いながら早歩きした道、
昔話を呟くのを聞いてもらった道、
辺りを見ながらぶらぶらした道、
お互いの感性のぶつかり合いを試した道、
ハマった漫画に共感した道、

 

何故か今いくらでも思い出せる。
まるで封印されていたシールが外れたかのように。

 

久しぶりに連絡をした。
同じように励ましてくれたあの人は今、どんな風に歩いているんだろう。

 

一休み

ホットドッグが好きだ。

 

中でもマスタードのプチプチ感とプリッとしたソーセージの小さな脂肪分がたまらない。

 

もしホットドッグを家で作れたら生活充足度が一気に上がるだろう。

 

しかしドッグパンと長いソーセージの日常的な入手、そして反ったソーセージにも対応する丁度いい高さのトースターの調達など難関が多い。

 

仕方なくド◯ールなどで割高なホットドッグとコーヒーの黄金律を楽しむのがささやかな楽しみになっている。

 

腰を落ち着けるひと時のために、小銭が飛んでいくのを勿体無く思うこの頃だが、世の中の必然性のうちの一つなのかもしれない。

 

 

 

桜の季節

電車から川沿いの桜が満開なのが見えた。

 

出店があったりレジャーシートの花見客が賑々しく彩っていた。

 

私は虚ろげに見過ごしながら、世の中との隔絶感を感じた。

 

車窓の一瞬だったからだろうか、例えばその川沿いを歩いていたら、楽しい気分になっただろうか。

 

なんだか浮かない気分になるのは毎年だけど、帰りがけに通るマンションの裏庭の桜を見上げるのは好きだ。

 

畳の部屋に仰向けにごろっと寝てみた。

気持ちよかった。

窓を開けていたら外気が風向きによって入ってきた。

深呼吸した。

空気の対流があると感じた。

 

以前は寒いから窓を開けて空気の入れ替えなんて、よっぽどのことがない限りしなかった。

退院から帰ってくると、重たい空気でいっぱいだった。

あまり気にしないで二、三日経った。

 

ある時重たいダンボールを運んだだけで腰痛がぶり返した。

 

病院での健康的(?)な身体の状態と照らし合わせるといくつかの要因が思い当たる事があった。

 

家の中はいろんなものが低い。

手を伸ばして取るような棚が殆どない。

座卓やカラーボックスなど、かがんで物を取る事がやけに多い。

 

そうだ重たい空気の中で中腰を繰り返す生活になったとたんの腰痛だ。

原因は家の中にあるのかもしれない。

 

今後の課題はこれだ。

高いところに棚を作る。

 

こんなことを寝っ転がりながら思った。