母親
冷たい雨が降っていた朝、
いつもの自転車ではなくバスに乗って出勤した。
イヤホンで何気なく宇多田ヒカルの曲を聴いていた。
雨だれの窓を眺めながら歌詞に集中していたら
「嵐の女神」という曲から
お母さんに会いたい、という彼女の気持ちが流れてきた。
その数秒後に、今日は私の母の命日だと気づいた。
歌から彼女の母親に対する戸惑いや寂しさ、
そして感謝の気持ちが
直接私の心を爪弾いた。
私は思わず窓を見ながら涙した。
もちろんイヤホンの奥の彼女の母親と私の母は、
境遇も暮らしもまるで違うが一つ共通点があった。
突然1人で逝ってしまった母親。
残された私たち家族は
計り知れないほどの悲しみと自責に悶え苦しんだ。
クレバスのように深い深い寂しさも。
9年経った今でも、
後悔と悲しみの氷柱のようなものが胸を突き刺す瞬間がある。
お母さんに会いたいと
素直に悲しみを歌に表現する彼女は、
自分の気持ちに整理をつけたんだと想像した。
強く逞しいと思った。
私は、まだ苦しみに甘んじているのかもしれない。
そう思いこのブログを書こうと思った。
お母さん、あれから9年経ちました。
私はいまだにあなたの恥ずかしい娘だけど、
これでも頑張っています。
これからももっと。
あなたがあの世で微笑んでくれるのを期待して。
喫茶店
私にとって居心地のいい場所とは、とふと考えることにした。
不幸なことに、自宅ではないことは確かだ。
wifiの使えるスタ◯か、
学生で溢れかえるマ◯ド◯ルドか、
なんだかんだ行きやすいド◯ールか、
…そういえば職場近くの立ち食いそば屋さんも行きつけだった。
かつての住んでた街にある地下の名曲喫茶か、
友人の営む陽の当たるブックカフェなのか、
幸いなことに行列のできるサードウェーブ・コーヒーショップではないことは確かだ。
音楽が良くて、
コーヒーがおいしくて、
恩着せがましい接客のないお店が最高。
若年層の時代から都内をフラフラしてる私だけど、
今はどうやら
地元駅近くのジャズ喫茶に長居しているようだ。
ここは最高の音と
音楽や映画の玄人とも言えるコアなお客が集まるお店。
私なんかは、まだここでは少し緊張してしまうけど、
それでも30年経ってもなお背伸びして届いたかなって、色んな人に自慢してしまうのだ。