母親
冷たい雨が降っていた朝、
いつもの自転車ではなくバスに乗って出勤した。
イヤホンで何気なく宇多田ヒカルの曲を聴いていた。
雨だれの窓を眺めながら歌詞に集中していたら
「嵐の女神」という曲から
お母さんに会いたい、という彼女の気持ちが流れてきた。
その数秒後に、今日は私の母の命日だと気づいた。
歌から彼女の母親に対する戸惑いや寂しさ、
そして感謝の気持ちが
直接私の心を爪弾いた。
私は思わず窓を見ながら涙した。
もちろんイヤホンの奥の彼女の母親と私の母は、
境遇も暮らしもまるで違うが一つ共通点があった。
突然1人で逝ってしまった母親。
残された私たち家族は
計り知れないほどの悲しみと自責に悶え苦しんだ。
クレバスのように深い深い寂しさも。
9年経った今でも、
後悔と悲しみの氷柱のようなものが胸を突き刺す瞬間がある。
お母さんに会いたいと
素直に悲しみを歌に表現する彼女は、
自分の気持ちに整理をつけたんだと想像した。
強く逞しいと思った。
私は、まだ苦しみに甘んじているのかもしれない。
そう思いこのブログを書こうと思った。
お母さん、あれから9年経ちました。
私はいまだにあなたの恥ずかしい娘だけど、
これでも頑張っています。
これからももっと。
あなたがあの世で微笑んでくれるのを期待して。