明治生まれの祖母
今週のお題「私のおじいちゃん、おばあちゃん」について書きます。
私のお爺さんは、小さいころの私が入れそうなくらい大きな仏壇の中で、
白い髭を生やしてこっちを睨んでいる人だった。
お婆ちゃんは皺々の顔で背も丸まっていたけれど、しっかりした印象の人だった。
明治生まれのお婆ちゃんは累計11人の子どもを産んだ。
ちなみに父はそのうちの三男だ。
私はお婆ちゃん子ではなかった。
お婆ちゃんはとても遠い存在だった。
生意気でひねくれていた小学六年生の時、少しだけお婆ちゃんと同居したことがある。
お婆ちゃんに構わず、ファミコンに熱中している私を見てどう思っていたのだろう。
機械のような悲しい子どもだと思われていたのかもしれない。
いつも厳しい母ですら、畏れていたお婆ちゃんだ。
口を閉ざしていても女性として威厳のある存在だったのだろう。
冬には綺麗な朱色で、お布団のような分厚い半纏を縫ってくれた。
寒い夜でも勉強するのに暖かかった。
自分の殻に閉じこもっていた私は、
お婆ちゃんと話したりしなかった。
話し方がわからなかった。
どう接したらいいのかわからなかった。
インスタントのお味噌汁に慣れていたその頃、
お婆ちゃんが出汁でとったお味噌汁を不味いと言ってしまった。
丸いくしゃくしゃの顔で
餡ちゃん!
と、大きい声で私を呼んでいたのを覚えている。
失態
久し振りにパウンドケーキを焼いた。
今までで一番成功率が高かったレシピ本を棚から引っ張り出した。
卵は室温に、バターは40℃に、粉はふるっておく、
…と、まあお菓子の本らしく厳しいことが書かれている。
けれど、その通りに作った。
(厳密に言うと粉ふるいが無くてそれだけは守れなかったけれど)
結果は後ほど書きますよ。
卵の泡立ても、ハンドミキサーが無かったので、
自分の腕でもこもこに泡だてた。
(そういえば昔子供の頃も、この家で同じようにカシャカシャと泡立ててケーキを作ったっけ)
ただその時無心だった。
なんだか面白かった。
そのレシピ本には生地の様子まで事細かに書かれていた。
「もったりして泡だて器の跡がくっきりするほど泡だてます」
…ちっ、面倒くせえなあ。
なんて悪態をつきながら私は黙々と泡立てた。
オーブンで焼いている時に結果が現れてきた。
キツネ色のケーキがみるみるうちに山になってきた。
私は様子を見ながらワクワクして、その小うるさいレシピ本に感謝したのだった。
「粗熱が取れたらビニール袋かラップに包んで冷やし、翌日から4日後までが美味しく頂けます」
最後まで私はレシピ本の言う通りにした。
今、そのパウンドケーキは冷蔵庫で眠っている。
これまでの私は、レシピ本はおろか人の言う事もろくに聞かず、
自分だけで生きてきた。
これまで人を頼ってもいい事なんて少しもないからだった。
そう、そうなのだ。
大切なのは「頼る」の捉え方なのだ。
甘えと頼るのとでは違うのだ。
なかなかその違いには気付きにくかったけれど。
違うと言ってくれたのは、本ではなく人だ。
今日、その人にパウンドケーキを渡すのを忘れてしまった。
なんという失態だろう。
リミットはあと3日後。
でもまた会えるさ、遅れた分ラッピングを豪華にしよう。
痛覚
今週のお題「カバンの中身」
初めてお題にのって書いてみます。
カバンの中身とのことですが、
さてお気に入りの革小物がある訳でも、きっちり書かれた手帳があるのでもない。
あるのは簡素化にしてはぺしゃんこ過ぎる財布、デオドラントスプレーや傷だらけのこのスマホが現在の私の疲弊ぶりを物語っているのかもしれない。
かつての私の通勤バッグは重かった。
ぱんぱんのバッグの中身は主に単行本や雑誌が入っていた。
仕事帰りに本屋に立ち寄り、ついつい衝動買いしていたのだった。
なのでカバンは触るとごつごつしている。
機能性に欠けたステイタス偏向気味のバッグなので内側に余裕がないのだ。
このバッグについては言いたい事が沢山あるが、今はカバンの中身についてなのでやめておく。
読みたい本も買って家のドアの前に立った。
さあ夕飯を作って早めに落ち着きたい。
軽く尿意もする。
と、ササっと鍵を取り出そうとバッグのスリットに手を入れた瞬間
鍵先が私の中指爪の間に勢いよく刺さった。
鍵束は朝の私によって逆さまにスリット突っ込まれていた。
誰もいないマンションの廊下に 「痛っ」 という短く小さな叫びが響いた。
その時のやり場のない悲哀と羞恥、後悔、憤りの感情は忘れられない。
それからカバンの中身を探る時、おずおずと手を伸ばしている。