餡とコーヒー

和菓子とコーヒーに癒されるひとりが書いています。

天井

心理カウンセリングを学んでいた昨年のこと。

 

私は意欲をもって知識を得ようとしていた。講義ではノートをとり、先生の言葉を一語一句聞き取ろうとしていた。

新しい知識は興味深かった。先生は美人で溌剌としたカリスマ的な人だった。

 

実践クラスのある日、家族療法のロールプレイングをしていた時のことだ。

 

4名1グループのうちの1名の家族をモチーフに、他3名が家族役になってそれぞれの視点を話し合う形式だった。

 

私は引きこもりの弟役を言われ、円座に背を向けて俯いて座ることになった。

母役、父役、本人とそれぞれの座り位置や役柄を本人の感覚で指示される。それから1分くらい静止するのだ。

 

下を見て俯いて座っていると、とてつもない疎外感が生まれた。わずかに視界に入る母役の眼差しが救いだった。

それぞれ母役、父役の感じ方もあるのだろう。

…と、まあこういった家族の疑似体験を数分後に共有し合う授業だ。

 

静止していた1分の間に俯いている私のそばを先生が見回るように通り抜けた。

「お前はずっとそうしてろ」

低い声で確かに聞こえた。

 

冷たい短刀で腕を削がれたように、

私は一瞬呆然としたが、先生は確かに言った。

その意味は直ぐには理解できなかった。

 

あれから一年、頑張っても足掻いても何も実らない。

 

母が亡くなり

父が亡くなっても

姉や夫から離れても

私は休むことをしなかった。

無理にでも活動しようとしていた。

休むのが悪いことのように。

 

あの先生は気づいていたのかもしれない。

私の様々な矛盾を。

それを冷静な臨床心理士として、先生として読み取り、あの人らしい最適な方法で私に烙印を押したのだ。

 

案の定、私は最終試験のカウンセリング試験に出ることが出来なかった。

 

いま、何となく天井を見つめながら当時のことを思い出していた。

 

 

ゆっくり息継ぎをしながら、

休むことにする。

 

これからの為にも。必ず。

 

 

 

料理とロマン

料理には愛が要るって思うんです。

 

強いて言えば、愛が欠かせないんじゃないかって確信してます。

 

食べる人に?

作ってる自分に?

素材に?

レシピに?

報酬のお金に?

 

いえいえ、

ベクトルは何処に向いていたって

知ったこっちゃないのです。

その人次第なのでね。

 

 けれど、

 

心が無ければ

料理をする時間も惜しいはずだし、

愛がなければ

手間暇かけることは出来ないでしょう。

 

だって現代では自分で料理しなくても生きていけるもの。

かつての生きる術ではないもの。

 

実際はね、

ハッキリ言って面倒臭いです。

 

どうして好きこのんで肉を叩いたり、キャベツを2ミリの千切りにしたり、不毛に小麦粉などでベトベトにしたり、わざわざ危険を冒してまで油を高温にするのでしょう。

 

全ては

おいしい!のため

 

私はこう思うのです。

 

「おいしい!」という名の愛を

獲得するための作業だったり探究だったりする楽しい夢なのかもしれません。

 

料理って本当はロマンチックなんですね。

 

 

え、

もう知ってるって? 

 

 

フィールド

至極当然な話だけど、

 

15歳の女の子がすぐにでも一般事務のOLになるのが無理なように、

40歳の女性がアイドル歌手を目指すのがどだい無理なように、

 

其々の本分があるのだ。

 

私はさっきまで違うフィールドで違う試合に出ていた。

走っても走っても、

罵られても、転んでも、

聴衆は「おーい、間違えてるよ!」
なんて誰も教えてくれない。

 

私の勘違いは大量の汗水となって体内から流れ落ちた。

 

私は、昔からありながら避けて通ってきたフィールドを見た。

 

本当のフィールドは憧れでもなんでもない。さすがに認めなければ。

 

認めて初めて、

努力し鍛錬し挑戦できるのかもしれない。

 

怠惰なのも認める。

目先の楽しいこと、

簡単なことをこなして生きていこうと思っていた。

教えてあげるよ。

それって実は倒すべき敵のための生き方なんだよね。

 

自分のために

改めて、大きく深呼吸する。

 

目の前に広がるフィールドは

青々とした芝生だろうが、

荒涼としたラフだろうが、

 

背筋を伸ばして駆け出そう。

 

誰のためでもない、

私のために。

 

 

細長い空

それは狭い領域かもしれない

ただ、その向こうは果てしなく続いている。

 

高く遠いその長方形は、

私が息をつける領域で、

刻一刻と表情を変える美しい領域。

 

鳥や飛行機も登場したり、

燦然と輝く月や星を見つけられる。

 

ロケットや魔女の箒も良いけれど、

私はここから見るのが好き。

 

 

小さい頃から

ずっと見上げてきた空。

 

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紅茶

本当はドトールだって
セブンイレブンのコーヒーだっていい。

 

昼下がりの交差点近くにある

マリアージュフレール

 

いま、私1人の時間を過ごすために

来た。

 

これはかつて贅沢と咎められた行動なんです。

 

けどこれからは

 

私は私のために、

お茶を飲む場所を選択できるのよ。

 

 

 

 

咀嚼

自分のためにごはんを作っても
大して意味がないと思っていた。
むしろ無駄だとさえ思っていた。

誰かのために多少の気持ちを込めて作る事に意味があるのだと。

今夜1人いつものようにコンビニに向かう支度をしようと家の中を歩いている時に、

ふと2日前の出来事を思い出した。

それは私のごちゃごちゃとした記憶の引き出しに埋もれようとしている1枚だった。

「私にお終いがある事」

(誤解のないように補足すると、必要な記憶は引き出しの中を探せば出てくる。引き出しがごちゃ混ぜなのだ)

お終いがあるからこそ、
一日、一時を大切にできる。

2日前に知ったことだ。

あ、そーか。
それなら自分のために心を込めて作ったっていいじゃん。

と、のろのろと台所に向かい
鶏肉クリームソースのパスタを作った。

ふむふむと咀嚼していると、
あながち無駄ではない事に気づいた。

誰も関係なくて、
だからなのか
何だか気持ちが楽で、
どこにいるより自由だった。

あれ?
何だこれ…


自分のために食事を用意し、
食べ、片付ける。


可笑しいことに、
私が無駄だと決めていた事は、
実は私が追い求めていた生き方なのかもしれない。


もしかしたら、
こういうのが自立なのかも。