餡とコーヒー

和菓子とコーヒーに癒されるひとりが書いています。

女友達

久しぶりに会った友人を家に泊めた。

このコはバイトの同期で、初め会った時から強引でやけに人を型にはめる話ぶりが嫌だった。

でも、あとで気づいた。

いつも明るく感情豊かで素直な性格に、休憩時間のたびに癒されていたんだ、と。それから見る目が変わった。

…実際は仕事内容の愚痴だとか世間話だとか噂話の弾丸トークなのだから、疲れてるはずなのだけど。

 

ある時、私が悩みを話すと応えるように自分の経験を話してくれた。

それだけなのに、なんだか分かり合えた気がして嬉しかった。

 

私は過度に人に気を使う欠点がある。

それは、簡単にいうと状況がわからないからなのだけど、たいていは長時間一緒にいる人を疲れさせてしまうらしい。

(此方だって数倍疲れるわけなのだけど)

 

その日もシャワーの順番などで少しギクシャクしたけれど、次の日の朝食を食べながら、いつものように明るく言いたい事を言っていた。

 

言えそうだったから欠点の部分を伝えると、そのコは

"もっと図々しくならなきゃダメだよ"

と言った。

いい奴だと思った。

駅までの途中にある公園のあじさいを見せると喜んでいた。

"また懲りずに来てね"

と、笑顔で送ることができた。

何だか来てくれたのが本当にありがたかった。

 

私は同性の友達が少なく、少ないから特に仲良くなると嬉しくて、家に泊めておもてなししようとして失敗する。

過去にも5回ほど失敗かつ疲労している。

 

付き合い下手な奴、と読む人は思うかもしれない。ホントそうだ。

同性との人間づきあい方、どっかに書いてないですかね(^^;;

 

 

 

鳶の人

真向かいの工事現場で鉄骨建て方が始まった。

今日も鳶職の方々が意気揚々と仕事されてる。

それなりの機械音がしたり衝突音やけたたましい笑い声が聞こえてくると、頭を抱えたくなる。

ここで住人の怒りの矛先は、笑い声に向かうのが容易だ。

理由は機械音や衝突音には怒れないからだ。

外から笑い声が聞こえただけで、高いところから覗かれてるのではないかと被害妄想的な感覚にさえ陥る。

 
以下は私の中の図式だ。

足場組みor解体→鳶職→うるさい

 

しかしよく見れば、重労働仕事でチームワークが要され、一つ間違えば大事故になる危険が伴う仕事だ。

 

大声や笑い声に他意なんて、もちろんないだろうし、見たまま聞いたまま笑ったり怒ったりしてるのだろう。

 

江戸時代では火事場の火消しも兼任していた。老舗の鳶は神社の氏子として受け継がれている。

高い所を動き回るから「現場の華」と呼ばれているそうだ。

 

私は職業に優劣は無いと教えられてきた。

世の中には、どんなに学があっても、名声が高くても、人間として歪んでる人が多いものだ。

 

はっきり言って人間として見れば弁護士と彼らだって大差ないはずだ。

 

彼らのプロフェッショナル性に憧れすら持っている。

確かに、鳶職の人たちは町に突然現れたヤンキー集団のように目立つし、はた迷惑な存在かもしれない。

 

しかし、プロ集団をうるさいとは言ってはいけませんね。

 

今日も無事に終わるのだろうか。
16:30
いつものやかましさがフェードアウトしだす時間になった。

私の愚痴も収束に向かう。

 

皆さんお疲れ様でした。
ああ、静かになった。

 

主食

届けてもらったお米屋さんのミスで5キロ以上の玄米が家にある。

 

玄米は好きなので、言うことは言ってそのまま受け取った。

 

度々思うことだけど、玄米食にするといろんな意味で体がどっしりする。

今日で1週間になる。

消化に時間がかかるからなんだろうか。

1日のサイクルが長い。動物のサイになった気分だ。

 

白米の時はスルスルとお腹に入って消化するので、何の感慨もなく1日が過ぎて行く。慣れているからかも知れない。

 

パンが続く時は、心なしか気持ちに余裕がない。

玄米とは真逆な感じがする。

 

これらはあくまでも私個人の感覚であるので、それなりに読んで欲しいです。

 

案外食生活から人の性格が判別できるのかもしれない。

 

明日は玄米炊いて肉じゃが作ろう。

 

大人

今日仕事帰りに駅のホームにある自動販売機で惣菜パンを2個買った。

 

電車を待ってる間に買えるし、それに後で山盛りの大根サラダと特製ホットドリンクで気ままな夕食にしようと思ってのことだ。

 

しかり、傍目では休日なのに仕事帰りのおばさんがパン二個で夜を過ごすと思われたのだろう。

 

2,30代の若者?が

「寂し」

と呟いて通り過ぎた。

 

至極当然のご感想。

 

けどね、

本当に

どうでもいいから、

何でも口に出すなよ。

 

え、言論の自由

もしこれを読んでそれを言うなら

せめて名乗ってから呟いてよ。

多少なりとも当人は傷つくんだからさ。

 

 

R 〜アール

最近は、あまり自分の境遇にどうのこうの思わなくなってきた。

私にしてはかなりの変化だと思う。

 

「あたし、いいじゃんこれで」

こう思えるようになったのは、

本当に前進出来たと思う。

 

これまでは

夫とごく普通の生活していても

友達とおしゃべりしていても

おしゃれしても

仕事が楽しかったとしても

 

 

どこか満足できなくて

自分に難癖ばかり

いつも寂しかった。

 

自分で自分を偽っていると

本当の自分は寂しがる。

 

だから表がいくら

華やかでも

安定していても

心はしずんでいくのだ。

 

少なくとも私はそうだった。

 

ここ一年で

そういったものを自ら捨て、

得たものを浪費し、

自暴自棄になっている私だが、

こんな私に1人の人がずっと

励ましてくれている。

 

その人は

私の本当の内面を見せても

否定をするそぶりは見せなかった。

 

私の悪くて弱い汚い面を

たくさん話した

それでも変わらなかった。

 

その人に、

思い切ってこのブログを見せた。 

 その人は愚痴ばかりのこのブログを

全部読んでくれた。

 

 実はまだ私の中では

巧妙な詐欺師さんと思ってる部分が

払拭出来ていないのだが(ごめんなさい)

 

たとえ詐欺師だったとしても

その人は、

私に自信という大切なモノをくれたと、心から感謝している。

 

 

 

インドカレーの前菜

私のたった一つの願い

 

一つでいいのです

 

叶えて下さい遠い国からやって来た

笑顔の人達

 

ぽろぽろ溢れるの

やるせない

私が下手だから

 

変えるのは器だけ

器だけでいいんです

 

も少し大きく

できれば平たく

 

よーく絡めたいのです

美味しいサウザン

せん切りキャベツと混ぜたいのです

 

遠い国からやって来た

陽気なネパールのコックさん

 

私の願いはたった一つ

 

また行きます

友達も連れてきます

 

だから、どうか

せっかくの

山盛りキャベツが

こぼれない

お皿にして下さい

 

 

映画

私の中で息絶えそうになっていた、メディアから吸収する欲求を呼び起こそうと映画を観に行った。

 

大層な物言いだけれど、簡単に言うと 映画を観に行こうと思い立ったのだ。

 

選んだのは「ラ・ラ・ランド」。

何のことはない、新宿のゴジラそびえ立つシネコン内の一席で、私は涙を堪えるのに必死だった。

 

意外に思うのか、共感してくれるのか

このブログを読んでくれた人の反応は全く想像できないので、勝手に感想を書く。

 

私は随所で揺さぶられた。

ミュージカル特有の高揚感、

登場人物への感情移入、

自分の人生と重ねた時に喚起された何かの感覚、

人生の複雑さ、

ロマンチシズム、理想と現実、

成功と現実、

ついでにジャズへの愛情

色んなものを感じとった。

 

スクリーンの隅々、

ピアノの一音からも感じ取った。

 

それは、私の小さい器から涙となって溢れ出た。

 

それだけだ。

 

この映画はアカデミー賞を取り損ねたと言われているが、

私はアカデミー賞向きではないと思う。

 

何故なら、

上手く言えないけれど

そう…ジャズが万人向けでない事と、

同じ理由だからかもしれない。